私にみえている世界

こんにちは。

古典はなぜ読むべきか 考察メモ

お疲れ様です。yasusususuです。

 

私の書く記事の傾向からお分かりのことかと思いますが、私がこのところ読んでいる本の多くは、流行りのいわゆる自己啓発本、ビジネス本といわれる類のものです。

読みやすい文体で、かつ薄いので2時間弱で手っ取り早く仕事や生活に役立つ知識を得ることができそうであり、また、書店の目立つ場所に平積みされていることが多く、「売れている」ようなので、イコール多くの人が読んでいると思われる以上、私も読まなければという気持ちになるからだと思います。

古典を読むことを勧める人たち

私が購入した本の中で、「古典を読みなさい」という趣旨の記述をよく目にします。

 

ライフネット生命 岩瀬さんの場合

例えば、春の訪れをきっかけに初心に帰ろうという気持ちで購入した本のうちの1冊の「入社1年目の教科書 」(岩瀬大輔 著)にはこうあります*1

これも出口に言われたことです。

「古典を読んで理解できなかったら、自分がバカだと思いなさい。新しく書かれた本を読んで理解できなかったら、作者がバカだと思いなさい。」

古典は、時代の試練を耐え抜いて継承されてきたものです。含蓄を汲み取り、深く理解すべきものだと思います。

なお、出口さんとは、著者の岩瀬さんが副社長を務めるライフネット生命株式会社の代表取締役会長兼CEO*2で、引用した「古典を読んで…」の件は、出口さんの恩師の方のお言葉だそうです*3

岩瀬さんの主張は、古典は、「時代の試練を耐え抜いて継承されてきたもの」だから読む価値があるというものです(念のため付言すると、新しい本を読むべきではないと言っているわけではありません)。

明治大学 斎藤先生の場合

以前紹介した「大人のための読書の全技術 」(齋藤孝著)にはこうあります*4

keep-it-simple-on.hatenablog.com

そうした真理は時代を超え、全世界的に通用することであり、身につけるべき基礎教養です。その知恵が古典の中にはたくさん入っています。

また、こうあります*5

古典には、そのように様々に応用できる力が内包されています。普遍的な真理を学ぶと共に、その教えを自分の行動に引きつけやすい格好の教材なのです。

読書の時間をどうやって捻出するかが大きな問題となっている社会人にとっては、コストパフォーマンスという視点が欠かせません。

コストパフォーマンスを考えれば、まずは古典にあたるべきでしょう。

斎藤先生の主張は、古典には、時代を超えて通用する真理が含まれている。そして時代を超えて通用するから、様々な場面に応用可能である。

そこで、一度身につければ、その後、役立つ場面は多いので、まずは、(私の読んでいるような自己啓発本やビジネス本の類よりも)古典を読むべきである。

というものであると思います。

その他 ノルウェイの森、永沢さんの場合

ノルウェイの森に登場する東大生永沢さんは、こう言います*6

「現代文学を信用しないというわけじゃないんだよ。ただ俺は時の洗礼を受けていないものを読んで貴重な時間を無駄に費やしたくないんだ。人生は短い。」

「だから読むのさ。他人と同じものを読んでいれば他人と同じ考え方しかできなくなる。そんなものは田舎者、俗物の世界だ。まともな人間はそんな恥ずかしいことはしない。なあ知ってるか、ワタナベ?この寮で少しでもまともなのは俺とお前だけだぞ。あとはみんな紙屑みたいなもんだ。」 

永沢さんの主張は、古典は長い間淘汰されずに残ったものだから読む価値がある。また、人生は有限だから、読む価値があるかはっきりしないものを読むより読む価値のあるとわかっている古典を読むべきである。さらに、大衆の読む現代文学ばかり読んでいると大衆と同じ思考しか出来なくなるから、大衆とは違い、古典を読むべきであるという主張であると思います。

 

古典を読むべきかを考察する

他にも古典を読むべきという主張を多く見かけたのですが、取り急ぎ上記3つの主張から、古典を読むべきかを考えてみたいと思います。

まず、結論として、古典を読んだ方が良いということは、間違い無いでしょう。

 

時代を超えて読まれているという点について

上記主張のうち、ライフネット生命の岩瀬さんと、ノルウェイの森の登場人物の永沢さんの主張は、似通っており、時代を超えて淘汰されることなく読まれているというということが価値があるという証左であるから、古典を読むべきという主張であると思います。

 

しかし、時代を超えて読まれているかどうかは、どうやって判別するのでしょうか

初版から○○年経過しても第何刷が出るほど売れている、次々と新たな新訳本が出版されている、などの総出版数を言うのでしょうか。

ここが私にはわかりません。

①仮に、時代を超えて多くの人に読まれていると解釈することができます。そうすると、大衆が読んでいる本であると言い換えることができないでしょうか。

大衆が読んでいるから、売れ、売れるから、再版がかかり、時代を超えて生き残る。出版業は、慈善事業ではないのですから、やはり売れる本を刷り書店に並べたいでしょう。

②また仮に、知識人(学者等)が価値があると認め続けているから、論文等が多く書かれ、分析され、その結果、一部の知識人に時代を超えて読まれ続けている。

知識人の批判に長い年月時代背景が変わっても耐え続けたという意味で、時代を超えて読まれていると解釈することができます。

 

少なくとも永沢さんの主張は、大衆と同じ思考になる事を嫌うというものも含みますから、①ではないと言えます。また、岩瀬さんも時代の試練という厳しい言葉を用いていますから、②のように解釈するべきなのかと思います。

結局のところ要旨は、はっきりしませんが、私は、②のような趣旨で古典を読むべきという主張がされているのではないかと現時点では考えます。

 

なお、余談ですが、「大衆は常に間違っている」という格言があるということを時々耳にします。この言葉は、アール・ナイチンゲールという人が発したらしいことまでは調べることができたのですが、出典が不明です(投資関係のページが多くヒットするので投資に関しての格言なのかもしれません。)。

仮に文脈を無視して「大衆は常に間違っている」という命題をそのまま用い、①の解釈にあてはめると、古典に価値があるという大衆の判断が常に間違っていることになります。

ところで、「大衆は常に間違っている」という命題の文脈を無視して考えるとき、私は、コンドルセの定理を想起しました*7。古典になる本について時代ごとに本に価値があるまたは無いという2択の選択肢を与えて多数決ができるという条件のもとでは、参加者の数が多いほど正解に近づくので、大衆の選んだ古典の価値の有無は、正解である可能性が高いといえます。そこで、「大衆は常に間違っている」とは一概にいえないず、この命題が真であるとはいえない可能性もあります。

 

古典に真理が含まれているという主張

斎藤先生の主張ですが、真理というものを私は相対的なものと考えるので*8、時代を超えて多数派のコンセンサスが得られているような内容が含まれており、これが応用可能な程度に抽象的な内容であるというものという意味の主張なのだろうかと解釈します。

しかし、読書ビギナーの私には、古典に「真理」が含まれているかどうか判別できません。

 

まとめ

古典はなぜ読むべきかという問いに対する明確な答えは、私の中にはまだありませんでした。

しかし、有限な人生の時間を無駄にしたくないので、コストパフォーマンスに優れると信じて古典を読んでみようと思いました。古典を読んで、古典を読むべきだったか、また考察したいと思います。

 

入社1年目の教科書

*1:20 本は速読するな より

余談ですが、こういうときに電子書籍を利用すると引用するページ数が明記できないので困ります。詳しくは、下記記事を参照ください。

keep-it-simple-on.hatenablog.com

*2:会社概要 | 生命保険・医療保険のライフネット生命

*3:読書のすすめ――本から学ぶことの効用と古典の重要性|出口治明の提言:日本の優先順位|ダイヤモンド・オンライン

出口さんの語ったことは、「古典を読んで分からなければ、自分がアホやと思いなさい。新著を読んで分からなければ書いた人がアホやと思いなさい(即ち、読む価値がない)」と書き起こされており若干岩瀬さんの本と表現が違います。

*4:第1章 読書のライフスタイルを確立する 古典に触れることで、時代を超え地域を超える普遍の真理を知ろう より

*5:第4章 読書の幅を広げる-本選びの全技術 応用できる力が内包された古典でコストパフォーマンスの良い読書を! より

*6:ノルウェイの森(上) 第35刷 講談社文庫 59頁

*7:私は、大変浅学でありこの定理を引き合いに出すこと自体不適切であるかもしれません。

*8:例えば人を殺してはいけないということが今現在、真理であるとしても、それは実質的に多数の人がそう考え、形式的にも多数派の賛成により立法で殺人が禁止されているという状況下のみにおいて通用する考え方にすぎず絶対的な根拠はないのではないか。