私にみえている世界

こんにちは。

嫌われる勇気 感想

お疲れ様です。yasusususuです。

 

本日は、岸見一郎/古賀史健著「嫌われる勇気」の感想を書きます。

嫌われる勇気

本書は、アルフレッド・アドラーの思想を「青年と哲人の対話編」という物語形式を用いてまとめられたものです。

アドラー心理学は、「どうすれば人は幸せに生きることができるか」という哲学的な問いに、きわめてシンプルかつ具体的な”答え”を提示します。

以上まえがきより

 

哲学というと学問であり、理論のはずですが、「幸せ」に生きる方法というと、なんとなく宗教チックな匂いがしてきます。宗教を否定しているわけではなく、哲学という学問と宗教の違いはなんだろうと一瞬考えてしまったのです。

前者には、検証可能性や批判の容易性がありますが、後者にはそれらがないという点が違いでしょうか。今度考えてみます。

 

アドラー心理学の考え方

アドラーは、あらゆる悩みは、人間関係から生じると説くそうです。すなわち、宇宙にたった1人の人間しかいなければ、人間には悩みが存在しなくなるということです。

そして、アドラーは、人間の人生における原因(過去)→結果(現在)の因果関係を否定する立場だそうです。

今不幸せだ、不幸せなのは給料が多くないからだ、今給料の多い仕事をもらえていないのは、学歴が低いからだ、学歴が低いのは学生時代に勉強をしっかりしなかったからだ、勉強をしっかりしなかったのは親が学習環境を整えてくれなかったからだ、親が学習環境を整えてくれなかったのは親が学習を重視していなかったからだ…

私の適当に作った因果関係の例には、突っ込みどころが多くありますが、それは置くとして、アドラーは、フロイト的な原因論に対して「目的論」という考え方を提唱しているそうです。

お金がないから不幸せなのではなく、不幸せだと考えたいという目的があるから不幸せである理由を作り出しているにすぎない説く立場のようです。

上司が嫌いだから会社に行きたくないのではなく、会社に行きたくないという目的のために上司が嫌いだという感情を作り出すのだそうです。

ある人の不幸な境遇は、不幸な境遇を目的にある人が選んだものでしかない、そこに過去は関係無いと説くのだそうです。

アドラー心理学の「目的論」を前提とすれば、私が幸せになるには、私が幸せになる勇気(幸せになる選択をするために行動を起こすこと)が必要なのです。

 

意味がわからないですよね。幸せになる勇気とは、幸せになるための行動とはなんなのでしょう。

なお、先に書いておくべきと考えますので、アドラー心理学にいう幸せとは「貢献感」であるらしいです。貢献感は、共同体感覚(家族、学校、会社、日本、世界)を意識し行動することで得られる感覚らしいのですが、共同体感覚って、宇宙的ですね。

アドラー心理学の目標

アドラー心理学では、行動面と心理面のあり方についてかなりはっきりとした目標を掲げて」おり、

行動面の目標は、「自立すること」と「社会と調和して暮らせること」の2つ」で「心理面の目標は、「わたしには能力がある」という意識、それから「人々はわたしの仲間である」という意識」を持つことだそうです。

アドラー心理学は、個人と社会を対にして考える、個人という概念が誕生した後に登場した学問的立場のようですね。私は、日本では、いまだに個人という考え方があまり浸透してない気がします。個人と社会が対になっているのではなく、ウチとソトというか、村人と村という感じの意識が強いように思います。

 

「そして、これらの目標は、アドラーのいう「人生のタスク」と向き合うことで達成できる」そうで、これは、人生における交友関係から生まれる3つの対人関係の総称です。

その3つの対人関係とは「仕事のタスク」「交友のタスク」「愛のタスク」だそうです。

タスクという言葉の意味がよくわからなかったのですが、タスク=仕事=強制的に向き合わなければならないことということのようです。

これら3つのタスクは、左から右に行くほど、ハードルが上がっていくそうです。

 

仕事が一番ハードルが低いってどういうことなんでしょう…人生、どんだけだよ。参りましたね。

人はこれらのタスクと向き合わなければならず、これらのタスクと向き合うことで人生の行動面、心理面の目標を達成でき、ひいては幸せになれるということです。

 

アドラーは、さまざまな口実を設けて人生のタスクを回避しようとする事態を指して「人生の嘘」と呼ぶそうです。

 

何かにつけて人のせいにするのではなく、他人の課題と自分の課題を切り離して、自分のすべき課題に取り組む。

親に認められるために勉強をし親の勧める大学に行くことや、上司に認められるために仕事をすることは、他人を評価するという親や上司の課題に取り組んでいるだけで、自分の課題をこなしたことにはならないそうです。この意味で、アドラー承認欲求を「人生の嘘」と評しています。私は「他人の期待を満たすために生きているのではない」のです。他人もまたそうです。

 

嫌われる勇気

本のタイトルが「嫌われる勇気」なのは、まさにこの、自分は他人のために生きているのではないという考えに起因するのだろうと思います。

「自らの生について、あなたにできるのは「自分の信じる最善の道を選ぶこと」、それだけです。その選択について他者がどのような評価を下すのか。これは他者の課題であなたにはどうにもできない話」だから、私たちは自分の選択によって人生を変えることができますが、同時にこれを他人が私のことを嫌いであると評価することがあるかもしれない、それがアドラーのいう幸せになるための「嫌われる勇気」だということを理解しました。

 

共同体感覚

前記の共同体感覚を持てるようになるために「必要になるのが、「自己受容」「他者信頼」、そして「他者貢献」の3つ」だそうです。

「自己受容」は自己肯定とは全く違うもので、自己肯定は、自分に暗示をかけること「自己受容」は、ありのままの自分を受け入れること(向上心を持ってはいけないという話では全くありません。夏目漱石もあれの中で精神的に向上心のないものはアレだって言ってましたしね。)ということです。

 

まとめ

話が込み入ってきましたが、私は「他者信頼」とは、自分の課題と他人の課題の分離、「他者貢献」とは、自分の課題をこなすことと理解しました。

すなわち、自分の現状を明らかにし、課題を見つけ、それが自分の課題なのかを見定め、それをこなす。これが、共同体意識につながり、ひいては、貢献感を生む。そして私は、幸せになれる。

これらを言い換えると行動面と精神面の目標のために人生のタスクに向き合っていくことになる。

 

 

こういう理解で良いでしょうか、アドラーさん。

 

 

よく海外留学をすると人生観が変わると言う人がいるという話を聞きます。私はそういう人に会ったことがないし、自分の人生観すら理解できていない私には、意味がわかりませんが、この本は、現状の見方を変える、人生の目標を論理的に見出せる可能性を提示してくれる、そういう意味で人生観の変わる本だと思いました。